学校の勉強に意味はないのか?という事についての考察

2021年6月23日

ナカです。

 

今回は、私のブログの趣旨とは
全く違った記事になりますが、笑

 

学校で習わされる勉強、すなわち、

  • 国語
  • 数学
  • 英語
  • 理科
  • 社会

と言った、五教科が、
将来的に役に立つのか?

 

というテーマで
私なりの意見を書き綴っていきます。

 

必ずしも、「コレが正しい」と
主張するつもりは無く、あくまでも、
私一個人の考え方でしかないのですが、

 

今回の記事に目を通す事で、
何かしらの気づきがあったのであれば、
嬉しい限りです。

 

学校の勉強を活かせるかどうかは人によって異なる。

学校の勉強に意味はあるのか?

結論を先に申し上げますと、

“学校での勉強が必ずしも役に立つとは限らず、それどころか、ほぼ使わない可能性もある。しかし、だからといって学ぶ事自体が無駄かというと、そうだとも言い難いし、5教科といった学問そのものが不必要だとは微塵も思っていない。” 

・・ただし、5教科以外の、アレはダメ・こうするべきだといった、精神的な躾、教育については、あまり真に受ける必要は無いと思う。

あんなものを鵜呑みにしていたら、社会に出た際に、柔軟な発想を持って生きていく事が出来なくなる。

 

というのが、私の見解です。

 

そもそも、学校という施設は、生徒たち一人一人の為にあるものではない。

 

まず、大前提として、
そもそも学校という教育施設は、
生徒たち一人一人の為にあるものではありません。

 

あくまでも、国として機能維持するための、
労働力を供給・生産するための教育施設であって、

 

子供たち一人一人の、
ああなりたい・こうしたい
といった夢を叶える事をメインに、
教育カリキュラムを組んでいないのです。

 

表面上は、あたかも、
“生徒たち一人一人の為に”というような
アピールをしていますが、

 

どちらかと言うと、
国家という一つの集合体を
成り立たせる事に重きを置いていて、

実質的には、
「子供たち一人一人の、“将来の夢”につなげる為」
そんな教育を標榜していないと思います。

 

つまり、国として都合のイイ人材を
教育・育成するための労働力の生産施設で、

 

国はできるだけ、

  • 知識、教養に恵まれている
  • “日本人”として恥ずかしくない
  • 忠実な労働力として国を支え、税金を納めてくれる

こういった「社畜的な人材」が欲しいのです。

 

だから、将来ほぼ使わないであろう、
“日本和歌”や“音楽”
なんかを教育科目の中に組み込んでいるのも、

 

日本人として格式高く、上品で、
知識教養に恵まれた、
「絵にかいたような日本人」を育成する為ですし、

 

  • “ピアスは駄目”
  • “髪の毛の色を変えちゃダメ”

 

という意味不明な校則を設けて、
一人一人の個性や自由を縛り上げているのも、

 

将来社会に出た際、
なんの疑問も抱く事なく、忠実に命令を聞いて、

 

都合よく動いてくれるような労働力を作り出す為の、
一種の洗脳教育だと私は解釈しているのです。

なので、今現在、
学校に通っている中学生や高校生で、
「学校は私たち(子供たち)の為にあるものだろうが」
という風に捉えていて、

  • “なんで、学校ってこんな意味不明で、将来使いようも無い五教科なんて学ばせているんだろう?”
  • “もっとこう、学ばす事が他に沢山あるだろう?”
  • “なんで、私たちにとって役に立たない事しか教えないの?”

というような疑問を抱き、
ストレスを抱えてしまうのは、
致し方無いのかも知れません。

 

ですが、あくまでも、
国の為であり、
一人一人のワガママを聞く為ではないので、

何かしら、将来の夢や方向性が
固まっているのであれば、

その夢は自分自身の力で叶えなければならず、
決して、学校側に押し付けて
責任転嫁するべきではないと思っています。

 

私自身、学生だった当時は、

“あ、なんだかんだキレイ事言ってるけど、
社会の忠実な歯車に仕立て上げるつもりなんだろう”

という風に思いながら、
学校の授業を受けていました。

 

そして、よくよく考えてみれば、
教師たちが口酸っぱく指導してくれるのは、

“当然の親心”だと思った為、
特に、不服だと思った事はありませんでした。

 

少し、話が逸れてしまいましたが、

 

5教科といった学問そのものが
将来、役に立たない、不毛なモノだったのか?

 

というと、
そうも思っていないのです。

 

その理由を挙げていきます。

 

5教科があったからこそ、便利で文明的かつ快適な生活を送れている。

 

例えば、5教科の中で、
特に不人気な「数学」「科学」。

 

人によっては難解である上に、
社会人になった際に使う機会が極端に少ない為か、

 

生きていく上では不必要と捉えている人が
大勢いるかも知れませんが、

 

ココでちょっと視点を変えて、
何故、私たちが普段、便利な生活を送れているのか?

という理由、それをとことん深くまで
紐解いていて考えてみてほしいのです。

 

それぞれのルーツや理屈、土台を探っていけば、
ほぼ、必ず、5教科の知識がベースになっているのです。

 

現に、この記事を閲覧しているのも、
PCやタブレット端末を使って
画面を表示させているハズです。

 

このプロセスを完結させるには、

  • 数値計算
  • 情報処理
  • データ処理

を終えた上で、光触媒を用い、
画面にコンテンツを表示させていきます。

 

これ等の技術も元を正せば、

  • 化学
  • 数学

の応用で生まれてきたモノです。

 

それだけではありません。

  • 飛行機
  • 住宅
  • 水道
  • 電気
  • ガス
  • 空調
  • 飲食
  • 衣服
  • 農業
  • 畜産
  • 通信
  • ゲーム
  • 動画

 

こういった文明の利器も、
元々は自然科学を駆使して生まれたものです。

 

これ等の自然科学分野に
情熱を傾けてくれる人物がいなければ、
技術力が向上せず、

 

今でも、原始時代ないしは江戸時代と
同じレベルの、文化水準の低い原始的な生活を
強いられていた可能性があります。

 

自然科学(数学・化学・物理)だけでは
ありません。

 

英語(外国語)を習得しようという熱意を
持った人物がいなかった場合、
そもそも異人種と意思疎通する事が難しく、

海外の文化や価値観を知ることも、
技術を真似る事も出来なかったでしょうし、
文明の発展にも寄与できないハズです。

 

社会科が無く、歴史を学ぶ機会が無ければ、
これまでの時代の変遷をもとに、
失敗を教訓として身に付ける事もできず、

同じ過ちを繰り返すような二の舞を
防ぐこともできなかったと思います。

 

 

つまり今、私たちが、
利便性に富んだ、
快適かつ文明的な生活を享受できているのは、

 

まぎれもなく、
これらの学問を活かせているからです。

 

そして、今後の文明の発展においても、
5教科をベースとした知識・技術の向上は必要不可欠です。

 

つまり、

5教科の学問を全く実用しなくなったワケでも、
5教科の学問を学ぶ必要が無くなったワケでもないです。

 

なので、「5教科がいらない」
と思っている人は、

 

実は、この5教科の学問が、

私たちが気づかないレベルで、
広く世の中に浸透しているからこそ、
便利な生活を送れているという事に気づいておらず、

また、これらの学問の応用によって、
日々の生活を生かされ守られ、
養われている事に気づいていない可能性があるのです。

 

もっと言えば、
“学校で5教科を学べる環境にある事”自体が、

 

実はものすごく恵まれた環境にある事すらも、
認識できていないのではないでしょうか。

 

 

学校で国語を学ばなかった場合、自由に読み書きができなかった可能性がある。

 

私たち日本人が、当たり前の様に
日本語を司り、意思疎通できるのは、
小学校がちゃんと全国的に普及し、
きちんと国語を学ぶ機会があったからです。

 

物心つく頃から、自動的に
小学校に編入され、
皆同じタイミングで「ひらがな」を
横並びで学んできたからこそ、

 

今現在、識字率100%という驚異的な
数字を維持し、何不自由なく、
日本語を使い、会話ができるのであって、

 

決して、歳を取るにつれて、
自発的に言語を司り、
読み書きができるようになったワケではないです。

 

事実、世界中を俯瞰で見下ろしてみれば、
学校が全国的に普及していない国、
教育制度がちゃんと整っていない国ほど、

 

識字率が異様に低く、
文化水準も低い上に、
治安も悪い傾向にあります。

 

勿論、学校で学ばなくとも、
自力で学ばせるといった方法もあるかも知れませんが、

 

いざ、自己負担で、
小中学校・高校で実施されるのと同じレベルの
教育を施そうとなった場合、
莫大な経費が掛かってしまうのです。

 

私たちが普段何気なく、
受けていた、もしくは受けているその教育は、
実は、数千万単位のお金が必要になります。

 

税金で賄われているから、
イマイチ実感が湧かないだけで、

実は、とてつもなくお金がかかる、
そんなサービスを無償で受けられているのです。

なので、両親の経済力のみをアテにした場合、
どうしても、家庭によって、
学力に差が生まれてしまいます。

 

全員が平等に教育を受けられている
この環境だからこそ、
自由に言の葉を使い、
読み書きができるようになったのであって、

 

もし、万が一、

学校という教育施設そのものが存在しない。 

そんな世の中だった場合、

文字を読む事すらも、
会話する事すらも、難しかったハズです。

  • 読む
  • 書く
  • 話す

という今まで当たり前だった事が、
できなくなってしまうため、
普通に生活できず、
ものすごい不便な生活を強いられていたと思います。

 

人間にとって一番の武器は“学ぶ事”

 

私たち人間が持つ、
一番の長所ってなんでしょうか?

 

魚であれば、エラ呼吸ができ、
ヒレを使って水中を自由自在に泳ぐ事ができます。

 

鳥類であれば、軽い体重で、
大きな翼を使い、空を自由に飛ぶ事ができます。

 

・・では、人間の一番の長所って一体なんでしょうか?

 

私が思うに、人間の一番の長所は、
“学習能力に特化している事”
だと思います。

  • 「どうすれば、鳥の様に空を自由に飛べるのか?」
  • 「どうすれば、魚の様に水中を自在に泳ぐ事ができるのか?」

 

そういった疑問を持ち、
いろんな視点から対象を観察し、

その理屈を深く、探求・解明した上で、
実際に再現する力。

 

これこそが我々人間の持つ“強さ”に他ならないと思います。
学ぶ事。それは、“武器”です。

 

学習能力があったからこそ、
私たち人類が、地球を支配し、統括する。
そんな存在になれたのです。

 

なので、最早、“学校で習わされる5教科”に関わらず、
何かを学ぶ事は、実に、高尚で尊いものだと思っています。

 

その為、
「5教科なんざ将来的に必要ないから、学ぶ必要が無い。」

 

そんな悲しい事を言わず、
諦めずに、前向きに勉学に励んでいっても、
良いんじゃないかと私は思っています。

 

学校の勉強が楽しくなる為のヒント

 

もしかしたら、単純に、
「難しいから」といった理由もあって、

学校の勉強に意味を
見いだせていない方も多かったのではないでしょうか?

 

であれば、どうすれば、
学力が向上し、
やる気やモチベーションが持続するのか。

 

そのヒントを、
下に示していきたいと思います。

 

黒板に書いてある事一字一句をキレイに書き写さない事

 

私が学生時代の頃にも居ましたし、
今現在でもそういった人がいるかと思いますが、

 

“黒板に書かれた内容をそっくりそのままキレイに書き写す人”

 

こういった人は、総じてとは言いませんが、
あまり成績が芳しくない傾向にあります。

 

何故かと言うと、授業中、キレイに
ノートを取る事に集中しすぎて、
肝心な“授業の内容”が頭に入っていないからです。

 

たとえばの話なんですが、

舞台演劇を鑑賞している最中に、
一生懸命メモを取りながら、そのストーリーを
把握できるでしょうか?

 

多分、逐一目線を下ろし、
メモを取りながら観るよりも、

普通にその舞台演劇を集中してみる方が、
より多くの情報を取り入れられていると思います。

 

要するに、授業中、
一生懸命ノートを取っている人は、
集中すべきポイントが根本的にズレている可能性があるのです。

 

逆に、テストで高得点を取れるのは、

「本当にメモすべきポイントのみをメモし、それ以外のエネルギーを“授業内容を集中して聴く事”に全振りしている人」 

が多い傾向にあります。

 

教師が伝えた要点、黒板に書いてある事を
自分なりに分かりやすく解釈した上で、
必要最低限のメモを取り、思考を巡らしながら、
授業を受けている為です。

 

つまり、「理解する事」に重きを置いて、
集中して授業を受けている分、
ノートを殴り書きにしている事が多いのです。

 

その為、本当に成績の良い生徒は、
比較的、ノートが雑になっている傾向があります。

 

別に、雑にノートを取れば、
授業内容がよく理解できるようになる。
と言っているワケではありませんが、

 

少なくとも、その授業内容を理解する上で
大事なのは、「綺麗にノートを取る事」
ではないんです。

 

ノートをキレイにまとめようとすればするほど、
授業内容が耳に入らなくなる為、

 

心当たりがある方は、
“万が一忘れてしまった時の保険の為に、メモを取る”

と言う事自体を、
制限してみたらいかがでしょうか?

 

「人に教わる」よりも「人に教える」ほうが上達する。

 

コレは私の体験談ですが、

「人に何かを教わる側」に回るよりも、
「人に何かを教える側」に回る方が、

その分野の知識や技術が
上達するように思えました。

 

コレは、ただ単に相手にアドバイスを貰い、
それをそのまま、深く考えずただ鵜呑みにしていくのではなく、

 

「どうすれば、相手が理解してくれるのか?」

という視点を持って、頭を使いながら、
説明していく方が、
その分野についての知識は深まっていったからです。

 

世の中には、
頭の回転が速く、要領のイイ人、
逆に、頭の回転が遅く、要領の悪い人、

 

人には個性があり、
苦手な事、得意な事、
人それぞれ千差万別なので、
その人の理解力や目線に合った教え方というものが存在します。

 

それを自分で判断して説明していく内に、
相手が次第に理解してくれたり、

 

逆に、コレはどういう事ですか?と質問され、
その回答が相手が腑に落ちるような(相手がピンとくるような)返答を
一生懸命考えて説明していく内に、

自分自身の習熟度も上がっていくのを、
直に体感したのです。

一生懸命教える事で、相手はもとより、
自分自身の理解度も深まっていく。

 

一石二鳥なので、
胸を張ってオススメしたいと思います。

 

 

>>コンテンツ一覧へ

>>メルマガ講座へ