こんにちは。

なかと申します。

 

ここでは、私のプロフィールについて

語っていきたいと思います。

 

名前 なか
性別
年齢 27歳
出身地 沖縄県
趣味 サバゲ・SUP・釣り・ジョギング・マラソン

 

 

0歳、母ちゃんの股から出てきたと同時にキラキラネームを授かる

 

父親は航空自衛官、母親はいたって
普通の専業主婦として、誕生しました。

 

なんの障害を背負う事も無く、
親の経済状況に問題があるワケでもなく、

 

名付け以外は、
至極マトモな両親でした。

 

極めて裕福な環境の下に生を受けた事、
今でも深く感謝しています。

 

 

ただ、一つだけ問題が・・・・

 

 

そうです。名前です。

 

 

私は、愛すべき母ちゃんのアソコから出てきた
と同時に、今現在の常識に照らし合わせても
信じられないようなキラキラネームを授かりました。

 

勿論、言葉の意味自体は非常に

素晴らしいもので、

 

傍から見れば、

「おぉ、イイ名前だね!!」

と言われれる事は多々ありました。

 

ただ、ソレは、他人がそういう名前だから

面白いというだけであって、

 

“自分の名前”として授かると、

これほど恥ずかしく、

煩わしいものはありません。

 

・・・なんだか、一生モノの“十字架”

背負わされた気分です

 

小学校高学年までは、特に意識する事も無く、

両親の愛情を一身に受け、

 

すくすくと成長していきつつ、

ブクブクと太り倒していきました。

 

 

関連記事:実際に改名したので体験談と改名の方法を キラキラネームはどうすれば変えられる?

 

 

10歳、デブりすぎて、水泳を始めるのと同時に、授かった“名前”について他者との違いに気づき始める

私は小さい頃から、デブでした。

昔の写真を見ては、

 

「なんだこのデブガキは・・・

あ、私か( ´^ω^` )」

 

と今でも苦笑してしまう程です。

 

今でも多少太ってはいますが、昔の体型は

笑い事にできるような範疇ではなかったのです。

 

「アナタのお子さんはこのままではほぼ確実

に、“太りすぎ”が原因でいろんな不都合や疾病を伴います。」

 

と医者と脅されたらしく、

それにビビった母親は、私に「水泳」で

痩せさせる事を決意しました。

 

週2~3回程のスイミングスクールに

通い、それを数年間続けた事によって、

 

少しずつではありますが、

体重を減らしていく事に成功し、

 

平均体重とは呼べないまでも、

以前ほど深刻なデブ体型をなんとかする事

ができました。

 

ただ、思春期に突入した事もあり、

体の色んなところから“ムダ毛”が生えてきた

と同時に、

 

自分に授けられた“名前”というものに

ついて、周りとの違いに気づき始めました。

 

「・・・ん? 俺の名前ちょっとエグくね?」

 

この“キラキラネーム”に気づいた事と、

父親の単身赴任をキッカケに、

 

私の学生時代は何ともパッとしないものに

変化していきました。

 

 

12~18歳、周りの空気を読もうとしすぎて、自分自身が“空気”みたいな存在になる。

この頃から、父親の単身赴任が決定し、

それ以降、小学~高校時代の

9年近くはほとんど母親、姉、私

の3人での生活がメインでした。

 

なんでも、心理学の世界では、

 

  • 母親と接する時間が短い
  • 逆に父親と接する時間が長い

 

そうすると、その子供は、

活発でバイタリティ溢れた子供に育つ

傾向があるそうです。

 

ただ、「ヤンチャな不良少年に育つ事でもある」

と聞いた事があります。

 

逆に、

 

  • 父親と接する時間が短い。
  • その反面、母親と接する時間が長い。

 

この場合、その子供は、

「他者との衝突を好まない、温厚で優しい

子供に育つ」と言われています。

 

・・ですが、それは裏を返せば、

 

「自分の意見もロクに主張できない、

相手とケンカする度胸もない“カマホモ野郎”」

 

として育つ事でもあります。

 

なんだか、親のせいにしているようで、

非常に恐縮なのですが、

私は典型的な“臆病者”でした。

 

中学校~高校時代は、

典型的な“空気マン”で、

 

なんともお粗末で灰色の青春を噛みしめて

生きていました。

 

周りの空気を読もう、読もう・・・

と必死すぎて、

 

ついには自分自身が、“透明で空気のような

存在”になっていました。

 

似たような境遇の仲間がいたためか、

なんとかそれなりに楽しい経験ができた

のが、せめてもの救いです。

 

ただ、ココで気づいた事がありました。

 

「自衛官のか官品の“大人しい率”は異常。

特に海上自衛官の倅。」

 

こんな格言があります。

 

陸自はドカタ。

海自はマグロ漁船。

空自は工場。

 

陸自・・山でひたすらテントを設営したり防御施設を組み立てたりる事から。

 

海自・・訓練や演習で、その人生のほとんどを海上で暮らす事から。

 

空自・・構成員の6割近くが戦闘機を整備する職種で、働いている姿が工場の整備員に似ている事から。

 

海上自衛官はその職務上、

海の上で生活を送る事が多く、

 

家族と触れ合える時間が極端に少ないため、

(その分給料はウハウハ)

 

結果として、子供がこういう感じで育つ

んだな・・・

 

と私は感じました。

もちろん、あくまでも私の感想です。。

 

19歳、名前の事で親とガチ喧嘩した後、和解し、家庭裁で名前の変更を受理してもらう。

 

専門学校を卒業し、いざ社会人になる一歩手前

で、父親と名前の事で大喧嘩しました。

 

私はそれまで、人生の中で一度も父親に

歯向かった事はありませんでした。

 

私にとって父親は偉大ですし、

今まで一生懸命、養ってくれたワケですし、

 

厳格で厳しい親ではなく、

優しく面白くユーモアに富んだ父親ですし、

 

それ以前にキレたら怖い父さんですし。

 

兎にも角にも、紆余曲折を経て、

名前を変える許可を父親から貰った後、

光の速さで家庭裁判所へ赴きました。

 

なんとか、1ヶ月程で、

『名の変更届』が受理され、

 

正式に下の名前を変更する事に成功しました。

 

20歳、陸上自衛隊に入隊し、たった2年で辞める。

親が自衛官であった事も影響してか、

“普通科”の陸上自衛官として働いていました。

 

ただ、この2年間、

辛くて苦い経験ばかりでした。

 

特に入隊してから3ヶ月目~6ヶ月目は

人生の中で一番、体力的に辛い経験を

しました。

 

想像を絶する程キツかった・・・

 

始めて、区隊長と対面した時、

胸に、

  • レンジャー徽章
  • 空挺徽章
  • 格闘徽章

 

のバッジを胸に付けていたため、

 

「なんだか、嫌な予感がする・・」

と感じていましたが、

その予感は的中しました。

 

それからは、毎日、「戦訓練」漬けで、

ゲロを吐いては、脱水症状を繰り返し、

 

毎日病院送りになる人が絶えない状態に

なりました。

 

体を頻繁に動かしたり、ほぼ走る状態

が続いたため、

 

口に何か入れてもどうせ後々吐いて戻して

しまうような環境に追い込まれたためか、

 

同期全員、昼休みに食堂に向かっても、

冷たいお水だけはガブガブ飲んで、

 

食事は一口食べたら後は全部捨てる。

・・・という事が当たり前になりました。

 

それに気づいた食堂の業務を司る

糧食班長から、

 

「なんでちゃんと食べさせないんですか!」

と苦情が入ったらしく、

 

それ以降は、昼休み時間中だけは、

少しだけゆとりをもって食事をとる事が

できました。

 

そんなこんなで、

入隊時は68kg程あった体重が、

58kgに減りました。

 

最早、ハゲデブではなく、

坊主頭のただの“ハゲ”です。

 

その後、部隊配属され、

2年程、ナンバー中隊で働きましたが、

 

ヘタレだったために、

2年で退職に至りました。

 

今思うとちょっとだけ後悔しています。

確かにキツい生活でしたが、

 

『俺はこんなにも情けなくて、

卑怯者だったのか・・・』

 

と、自分の身の程を知る事ができた

イイ経験でしたし、

 

それ以上に同じ釜の飯を食った同期と

仲良くなれて、

 

なんだかんだで楽しかったといいますか、

あの頃の2年間が、人生の中で一番、

強烈で青春な毎日だったと思います。

 

「じゃあ、もう一度あの頃に戻るか?」

と言われても、訓練のキツさを鑑みたら、

 

「・・いえ、やっぱ大丈夫です。」

となりますが。

 

23歳、今度は航空自衛隊に寝返り、今度は3年半で退職する。

 

1年間実家に寄生しつつ、

親のスネをかじりながら、

今後はどうするかな・・・

 

と悩んでいたところ、

「航空自衛隊はどんなか?」

と広報官に勧められました。

 

どっちみち行くアテもないし、

行ってみるか!

 

・・と割と安易な考えで航空自衛隊に

寝返りましたが、

 

コレが後々、私の中で一番黒歴史な

3年半を送る原因となりました。

多分、陸自を裏切ったバチが当たったのです。

 

陸自の頃と同じように、

3ヶ月程の研修期間を経て、

 

ついに、自分の一生を左右する、

「職種発表」の瞬間がきました。

 

私がビクビクしながら、

言い渡された職種は・・・

 

『警戒管制員』でした。

 

日本の領空を常時監視し、
接近又は侵入してくる航空機を早期に発見・識別し、
必要に応じて戦闘機の誘導を行う職種。

 

カンタンに説明すると、

 

『日本の縄張りに近づこうとする不届きな

飛行機をレーダーで見張る仕事』です。

 

最初、聞いたときは、

適正があって、尚且つ頭の回転の速い

人にしか託されない職種と聞いていたので、

 

お!よかったじゃん!と

思いましたが、

コレがマジでキツかった。。。

 

精神的に何度もツラい思いをしました。

 

秘に関する事が多い仕事だったため、

詳しく書く事はできませんが、

 

オペレーション(職場)に向かう瞬間は

ホントに憂鬱で、

 

「今度はどんな風にブチギレ

られるんだろうか・・」

 

・・と毎日怯えながらすごしていました。

 

ときたま、ボロクソに言われすぎて、

24歳になっても半ベソをかきながら

仕事していた事もありました。

 

部隊配属されてからの3年間は毎日、

辞めたいと思った日がありませんでした。

 

その頃からです。

「どうすれば、この状況を打開できるのか?」

という事を毎日、頭の中で考えていました。

 

蜘蛛の巣が張ったスッカスカの頭脳を

フル回転させていきついた結果が・・・

 

 

ブログです。

 

 

「そうだ、ブログだ。

ブログで金を稼いで、組織に属する事なく、

自分で生計を立てていこう・・・」

 

小隊長はそんなバカげた私の発想に

真剣に耳を貸してくれました。

 

そして、何とか退職の承認をいただき、

今に至る次第です。

 

最後に

 

今現在、私には夢があって、

 

「このブログに訪れてくれた人達が、

何かしらのヒントを得て、

ブログで安定的に収益を生み出せるようになり、

それぞれの夢を成し遂げる事」

 

です。

 

もっと言うと、

 

「その人達と楽しくお酒を酌み交わしながら、

他愛もない世間話をする」

 

こういった経験をしたくて

たまらないのです。

 

私がこのブログに書いたノウハウや

説明がキッカケで、

 

ブログ収益化に成功し、

その後実際に会って、楽しくお酒を飲む。

 

究極、今現在の私の夢はコレです。

 

 

今、このプロフィールを読んでいる

アナタが、

 

このブログを通して、何かしらの気づきや

成果があったのであれば、嬉しい限りです。