“嫌な事”を我慢してはいけない。むしろ、全力で逃げないといけない。

2020年5月28日

ナカです。
ちょっと極端なタイトルかもしれませんが、

 

嫌な事からは全力で逃げないといけない

 

という事を認識していただきたく、
今回の記事を書きました。

 

“嫌な事から全力で逃げる”
と聞くと、

 

卑怯といいますか、
半端者といいますか、

なんだか、意志薄弱なイメージを
持ってしまうかも知れませんが、

 

真剣に、切に、”自由な人生”を望んで、
一生懸命頑張っているのであれば、

 

歯を食いしばって、嫌な事を我慢する 
 
という考え方が、
むしろ大きな足かせになってしまう。

 

・・という事を改めて認識させてくれる、
ある人物の自論が非常に参考になったので、
紹介させていただきます。

 

『社会の不自由』

今日は「社会の不自由」
というテーマで話をしたいのですが、

私がここで言及したい
「自由」「不自由」の定義として

 

  • 自分がやりたい事
  • 自分が好きな事

このような事だけを
やって生きているような人は「自由」。

 

対して、日々の生活のお金を稼ぐためだけに、
本心ではやりたくない仕事をしているような人は「不自由」。

 

もう少し突っ込んだ言い方をすると、

  • 「我慢」
  • 「妥協」

をせずに生きている人は自由な人であり、
これらを重ねて生きている人は不自由な人と定義します。

 

決して「自由とは何か」という本質を言及するものではなく、
上記のような定義を「自由」「不自由」とした上で、

  • 「我慢や妥協をしない生き方」
  • 「不自由を避ける思考と行動」

こういったものを言及して「成功の本質」を捉えてみたいと思います。

 

 

「不自由」の認識

 

まず、これはあくまでも私の
「持論」でしかないものですが、

 

「自分がやりたい事を何でも自由に出来てしまう人生」

 

が、強いて「最高の人生」だと
は思わないものの、

 

  • 「自分がやりたくない事に多くの時間を費やしていく人生」
  • 「我慢や妥協ばかりを重ねていく人生」

 

は、やはり「つまらない」というか
『損な人生』だと思います。

 

ですので、私の「生き方」
における主な比重は、

 

  • いかにやりたくない事をやらずに生きるか。
  • いかに我慢や妥協をせずに生きるか。

が主であり、私の行動1つ1つの
「動機」にあたるものは、

何だかんだで、
ここに紐付いている部分が非常に大きいです。

 

もともと「やりたい事」が
さほど無かったので、

「やりたくない事を避ける」

という生き方が必然的に
前提となったのかもしれません。

 

ただ、これを人生そのものや日常で
「徹底」していくには、
やはり相応の「経済力」が必要不可欠でした。

 

故に私はおのずと
「経済的な成功」を求めていくようになったんです。

 

 

その結果として「今の自分」があるわけですが

  • いかにやりたくない事をやらずに生きるか。
  • いかに我慢や妥協をせずに生きるか。

 

という「生き方」における比重は、私の場合、
かなり幼少期の頃から芽生えていたものでもありました。

 

もちろん、子供というものは、

  • 「やりたくない事はやらない」
  • 「我慢をしない」

 

というのが普通だと思いますが、
小学生に上がるまでには親の「しつけ」によって、
色々な事を我慢させられるようになっているものだと思います。

 

  • 嫌いな食べ物でもきちんと食べなければいけない
  • 欲しいモノでも人のモノをとってはいけない
  • 騒ぎたい時でも、先生の話は黙って聞かなければいけない

 

と、色々な「我慢」を強いられていく中で、
子供ながらにその必要性を学習して認識していくわけです。

 

そして、それは私も例外ではなかったと思いますし、
そこまで聞き分けが悪い子供でもなかったらしいです。

 

にも関わらず、両親もいまだに当時の事を話すエピソードで、
私自身も古い記憶の中の1つとして残っているものなのですが、

 

小学校1年生の初めての運動会
において、私がその参加行事のほぼ全てを「放棄」し、

 

  • 徒競走、障害物競争などは全て歩く(全く走らない)
  • 綱引き、お遊戯なども、やっているフリさえしない(ただ立っているだけ)

と、一応、参加はするものの
「やらなかった」という事がありました。

 

その理由としては、
何度か運動会の練習が学校内で始まった際、

徒競走やお遊戯などを「やらされる事」に
拒否反応が生まれてしまい、

 

「やりたくねー」

と心からそう思ってしまい、
意識的に全てを「放棄」してしまったんです。

 

それこそ、田舎の小学校でしたので、
運動会となると先生が変に熱くなっている傾向にあり、
お遊戯の練習1つでも激しく「激」を飛ばしている状況でした。

 

それに、一生懸命従う生徒(友人達)や自分を捉えて、
小学生ながらに、何か冷めてしまったわけです。

 

「というか、何でみんな、こんなに一生懸命やってるんだろう。」

と逆に自分以外の生徒達の行動が
不可解に思えてしまい、

 

  • 「運動会だから?」
  • 「先生に走れと言われたから?」
  • 「みんなが走っているから?」
  • 「一生懸命走れば先生や親に褒められるから?」
  • 「1等賞を取れば褒め称えられ、一目置かれるから?」

 

と、様々な視点で「一生懸命それをやる理由」を挙げたのですが、
どの理由も私にとっては「やろうと思える理由」に該当しなかったため、
本番当日に、運動会そのものを自分なりに「放棄」したのでした。

 

それ以降のマラソン大会やら、
小学校2年生以降の運動行事は全て、
私は、練習の時点から参加はする(させられる)ものの

 

「やらない」

という事を徹底し続けたんです。

 

もともと「運動嫌い」
だったのもあると思いますし、

「できない事を徹底してやらない子供だった」

という親の話を聞く限りでも、
そもそも、そういう行事が性に合わなかったのかもしれません。

 

ただ、こういった

「特定の物事を徹底して放棄する傾向」

は中学生以降、更に強くなり、

  • 体育の授業は基本、理由を付けて見学
  • 運動系の行事はそもそも登校さえしない
  • 嫌いな先生の授業は徹底して受けない
  • テストは数学以外、ほぼ白紙で提出(数学だけは普通に「好き」だったんです)

 

と、私は小学生、中学生の頃から、
「やりたくない事をやらない」
という事を子供ながらに徹底していたわけです。

 

ただ、当然、
そんな生徒を教師、親は黙認しません。

最終的には私が「やらない事」を徹底するだけなのですが、
教師、親、共々、その頃から私に幾度と「熱弁」していたのが、

  • 「そんなんじゃ、社会に出た時に大変な目に合うぞ!」
  • 「社会に出たら、そんなワガママや逃げは通用しないぞ!」
  • 「やりたくない事でもやらなきゃ駄目なんだぞ!」

といった事でした。

 

もちろん、それを言われたからといって、
自分の生活態度を改める事は全くありませんでしたが
当時は私も普通の中学生ですので、

 

  • 「親や先生がそう言うんだから、まあ、そうなんだろうな。」
  • 「実際、社会というのは、きっと、そういうものなんだろうな。」

と、言っている事は
正しいんだろうと思っていたんです。

 

ですが、そんな調子で私が実際に出て行った「社会」は、
当時、親や先生が言っていたものとは全く違うものでした。

 

  • 「社会に出れば、ワガママや逃げは通用しない。」
  • 「やりたくない事でもやらなければならない。」

そんな事は全く無かったんです。

 

社会は「自由」に溢れていた。

 

社会に出る = 親のスネをかじらずに自分自身で身を立てる 

 

これを「社会に出る事」の定義として捉えるなら、

私が実際に出ていった「社会」は、
中学、高校などで親や先生が言っていた
「社会」とは全く異なるものでした。

 

その「社会」には不自由どころか
「自由」しかなかったんです。

 

例えば、まず何かの「仕事」をするにしても、
その「仕事」は自分が自由に選ぶ事が出来る時点で、

 

「やりたくない仕事をしなければならない」

という事は全くないように感じたわけです。

  • 給料
  • 仕事内容
  • 勤務場所
  • 拘束時間

などなど、全ての条件を踏まえて、
自分が納得できる仕事を選べるという時点で、
一体、何が不自由なんだろうと思ったのが率直なところでした。

 

その当時の私もまだ10代ですから、、

 

  • 給料は青天井で欲しい(とにかくたくさん稼ぎたい)
  • 基本、楽しい(と自分が思える)仕事をしたい
  • 出来るだけ短時間でいっぱいお金が欲しい
  • 服装、髪型などは自由がいい

 

と、物凄くワガママな条件を前提に
仕事を探しましたが、これに該当する仕事は普通に転がってました。

 

水商売です(笑)

 

とは言え、水商売も甘くはありませんので、
現場には嫌な先輩もいますし、
嫌なお客さんも来店してきます。

 

飲みたくもない強いお酒を
一気に飲まされる事もありました。

 

でも、そういった「嫌な事」も実力で
全て回避できる仕事だったため、

私は入店して即、あの手この手で
自分に楽をさせてくれるお客さんを掴み、

とにかく「嫌な仕事」を
避けられる状況を作っていったのでした。

 

それこそ「心理学」や「会話術」などといった、
言葉のテクニックを学び始めたのは、この頃からです。

 

本で学び、それを現場で実践して反応を確かめ、
どういう言葉やテクニックが有効なのか。

 

自分に合っているのかなどを試行錯誤しながら、
自分のお客さんを掴んで売上を伸ばしていったわけです。

 

嫌な仕事、やりたくない仕事を避けるために(笑)

 

要するに、私がこうして体感した「社会」というものは、
自分の「実力」と「結果」次第で幾らでも嫌な事を避けられる、
何1つ不自由のない「自由な世界」だったんです。

 

それこそ、子供の頃や学生時代の方がよっぽど
やりたくない事を強制的にやらされる事。

 

さほど望みもしないような人間関係に悩まされる事。

頭を下げたくも無い人間に頭を下げる事が多かったと思います。

 

学校行事は基本、強制で参加させられるものですし、
クラスや仲間内で孤立する事は小中学生にとっては死活問題・・・

 

 

決して素行が良かったわけではないので、
理不尽な教師やタチの悪い近い世代の先輩などには、
やはり下げたくもない頭を下げる事もありました。

 

ですが、私が実際に出て行った「社会」は、
職場も職種も、そこで付き合う人間も選びたい放題で、
水商売の世界だけを行ってもお店は腐るほどありましたから、

 

「実力絶対主義で、結果を出すスタッフを可愛がる経営者」

 

がいるような店を選べば、
何1つ不自由を感じる事はありませんでした。

  • 住みたい家に住む。
  • 食べたいものを食べる。
  • 欲しいものを欲しいがまま手に入れる。

このような自由もどんどん手に入るようになり、

 

「ガキの頃の方が、よっぽど不自由だらけだったわ!」
と、今でも私は普通にそう思います。

 

結局のところ「社会」というのは、
自分自身の「実力」と、それに伴う「経済力」次第で、
幾らでも「自由」が手に入ってしまう世界だったわけです。

 

周りの「大人達」が見ていた「社会」を考察する。

 

当時の私を取り巻く「大人達」は、一体何を指して

  • 「社会には不自由が待っている。」
  • 「社会に出れば、やりたくない事でもやらなければならない。」

と言っていたのでしょうか。

 

彼等が私に「嘘」を言っていたわけではない以上、
少なくとも、彼等が見ている「社会」は不自由なものであり、
彼等は現実として、その不自由の中で生きていたのだと思います。

 

要するに「生きていくために必要なお金を稼ぐため」に彼等は、
その「不自由」を受け入れて仕事をしていたという事です。

 

もちろん、それを否定するつもりは全くありませんが、
彼等はそれが社会であり、生きるために必要な事であると

 

「自分の尺度で測った常識」

を私に一生懸命、刷り込んでいたわけです。

 

というより、そのような
「生き方」をしているような大人達は、

ほぼ例外なく、
その尺度を子供達に押し付けているのかもしれません。

 

 

そして、それを真に受けてしまう子供達の大半は、
そのままその「尺度」で世の中を捉えてしまう事になります。

  • 「やりたくない事をやって生きていくのが当たり前なんだ」
  • 「社会に出て働くという事は、とにかくそういうものなんだ」

これを当たり前のように受け入れてしまえば、当然ですが、
そういう子供達はそういう生き方を選択していく可能性も高くなります。

 

 

結果、ただ生活に必要なお金を稼げる程度の「やりたくもない仕事」に、
自分の貴重な人生の大半を捧げていくような生き方を選んでしまうんです。

 

少なくとも、当時の私の同級生にあたる友人達は、
その大半が、そのような「生き方」を選んでしまっています。

 

そんな友人ほど、
学生時代を思い返すと、

 

「あの頃は自由でよかったよなぁ」
と、私とは全く真逆の事を言っているんです。

 

とくにしたくもない
勉強をさせられるために、

起きたくもない時間に
叩き起こされて行きたくもない学校に通わされ、

 

全く尊敬も出来ない教師の話を
何時間と聞かされていた、

あんな「不自由な頃」の
どこが自由だったんでしょうか、、、。

 

家、食事、服、趣向品の大半を「親」に与えられ、
それだけに文句の1つも言えなった頃に自由があったとは、
私は到底、思えないわけです。

 

もしもアナタが「不自由な生活」を送っているなら。

 

ハッキリ言って今は社会に出ようと思えば、昔以上に、
誰もが簡単に「起業」もできるような時代になってます。

  • アフィリエイト
  • YouTuber
  • 情報起業
  • コピーライター
  • トレーダー

などなどインターネット関係のビジネスで起業するなら、
それこそ本当に元手らしい元手も全く必要ありません。

 

  • 付き合いたくない人間とは一切付き合う必要も無く
  • 自宅から一歩も外に出る事もなく
  • いつでも好きな時間に仕事が出来て
  • 稼ぎたいだけ幾らでも稼げる可能性がある

 

そんな「自由な仕事」を始められる選択肢を、
今は誰もが普通に持っているような時代なんです。

 

もちろん、好きな事、
やりたい事を仕事にしていて、

その仕事で生活が出来ているという人なら、
そういう人が無理に「起業」を考える必要はありませんが、

もし、自分が、
「やりたくもない事(やりたくもない仕事)」を

  • 「仕事だから」
  • 「生活のためだから」

と、当たり前のように
受け入れてしまっているようなら、

それを「当たり前とは思わない事」こそが、
自分の意識を変える大きな一歩になるんじゃなうかと思います。

 

むしろ、その「やりたくもない事」を
やっている自分に、激しく、嫌悪感や抵抗感を覚えてしまうレベルでもいいくらいです。

 

少なくとも、私の物事の
「基準」や「動機」にあたるものは、

 

「やりたくない事を徹底して避けるための行動」 

に結び付いているところが非常に大きく、
それが本気で「嫌」だったから、
努力してきたわけです。

 

嫌な事を避ける為の努力や
行動は惜しまなかったわけですね(笑)

 

その上で、
私はわりと人よりワガママだったので、

 

  • 狭い家で生活したくない(何1つ不満を感じない家で生活したい)
  • ご飯を食べに行って、金額を見て食べる物を判断したくない(金額を気にせず、食べたいものを自由に食べたい)
  • 洋服を買うのにいちいち値札を見たくない(「着たい」と思った服は、金額なんて気にせずに着たい)
  • あらゆる物事においてケチケチしたくない(あらゆる物事を損得勘定抜きで判断したい)

 

と、やりたくない事の範囲が
どんどん広がっていって、

気が付けば、全てを実現できるくらいの
お金を稼げるようになってました。

 

こうした結果だけを言えば、私はとにかく、

  • 「嫌な事でも我慢する」
  • 「妥協して受け入れる」

という事がトコトンできない
「欠陥人間」なわけですが、

それを「できなかった事」が今の自分を作る、
その非常に大きな要因だったにはないかと思っています。

 

もし、そのような
「我慢」や「妥協」を出来る人間だったなら、

多くの嫌な事を避けるための
「努力」もしなかったでしょうから。

 

もちろん「努力のきっかけ」や「モチベーション」となるものは、
当然ですが、人それぞれ全く違うものだと思いますので、
これはあくまでも私の価値観によるものでしかありません。

 

 

ですが、

  • 「自分がやりたくない事に多くの時間を費やしていく人生」
  • 「我慢や妥協ばかりを重ねていく人生」

は、やはり私は
「損な人生」だと思いますので、

 

  • いかにやりたくない事をやらずに生きるか。
  • いかに我慢や妥協をせずに生きるか。

 

これらを追及して
「自分にワガママになってみる」というのも、
1つの有効な意識作りになるのではないかと思います。

 

ただ「ワガママ」になるだけでは
何も変わりませんので、

ワガママに生きる為に、
相応の「努力」は受け入れてください。

 

「やりたくもない事に時間を費やしていく我慢と妥協だらけの人生」を当然のように受け入れてしまう

 

よりは、

「やりたい事をやってワガママに生きるための努力と行動」を受け入れる事の方が遥かに「受け入れる価値がある」

と思いますので。

 

 

もし、アナタが、

  • 「自分がやりたくない事に多くの時間を費やしている」
  • 「我慢や妥協ばかりを重ねている」

という状況にあるなら、
まずはその現状を「拒絶」して、

本気で現状を変える努力と
行動を重ねるようにしてみてください。

 

人の「本能」や「心理」を
前提とするところを言えば、

 

「得をするための心理とそれに伴う行動」

よりも、

「損をしないための心理とそれに伴う行動」

の方に、強いバイアスがかかる
と言われていますので、

 

  • 「自分がやりたくない事に多くの時間を費やしている」
  • 「我慢や妥協ばかりを重ねている」

という状況が人生において
「損」を重ねている状況だと捉えれば、

1日でも、1秒でも早く、
その状況を脱したくなるものだと思います。

 

少なくとも、
私がこれまで歩んできた道のりを作ってきたものは、

 

  • いかにやりたくない事をやらずに生きるか。
  • いかに我慢や妥協をせずに生きるか。

を徹底してきた上での行動が
大部分を占める事は間違いありませんので。

 

ーー追記ーー

以上、私の幼少期からの思考と行動原理を回想した、

  • 「我慢や妥協をしない生き方」
  • 「不自由を避ける思考と行動」

についてでしたが、
実はつい最近、私生活における、

「子育て」

の中で、今回の事を自分なりに
考察するきっかけがありました。

 

妻と私との間で

「子供の習い事を続けさせるかどうか」

で、それぞれの意見が割れたんです。

 

 

基本的に子供が「やってみたい」
と言った事については

 

「ひとまずはやらせてみる」

 

というのが、
私と妻とで一致している子育て方針だったのですが、

 

「もう、行きたくない」

と子供が言い始めたものを
どうするべきかというところで、

 

妻は、

  • 何でも中途半端に投げ出すようになって欲しくない
  • 忍耐力の無い子供に育って欲しくない

といった理由で、

 

「そう簡単に辞めさせるべきではない」
という事を主張したわけです。

 

対して私は、今回の話にもある通り、
「やりたくない事を我慢してやるような人生を歩んで欲しくない」
というのが大前提にあるため、

 

そもそもな話、

「忍耐」というものが
「やりたくない事を我慢して続ける事」であるなら、

それを「当たり前」のように
出来てしまう大人になる事の方が、

子供にとってマイナスで
しかないという考えに至りました。

 

つまり、私の人生観で言えば、

「嫌な事を我慢して受け入れられる事」

 

を「忍耐力」と定義するなら、
そんなものは「不要」であり、

そんなものを備えるほど
「人生はつまらなくなる」と思うわけです。

 

ですので、私は子供に
「つまらない人生」を送って欲しくは無いので、

 

 

「嫌な事でも、歯を喰いしばって我慢する」
という事自体を基本的にはさせないようにしています。

 

ただ、これは「親馬鹿」でも
「甘やかし」でもなく、

 

「嫌な事でも、歯を喰いしばって我慢できるようになる事」が、そのまま人生をつまらなくすると思うから 

そうするわけです。

 

 

その代わりというわけではないですが、
何か悪い事をした際の「しつけ」などについては、
私も私の妻もかなり厳しい方なので。

 

 

何より、私自身が「嫌な事」を
我慢できない人間だったからこそ、

 

「嫌な事を避けて生きるための努力をできる人間になれた」

 

という自覚があるため、
下手に「嫌な事」を受け入れて、
我慢できる人間、妥協できる人間になるよりは、

 

「嫌な事を徹底して嫌がる人間」
になって欲しいというのが私の「子育て論」です。

 

平然と「嫌な事」を受け入れるような、
我慢と妥協を重ねるような人生を送って欲しくないからであり、

 

その「嫌な事」を徹底して
避けたいという信念があってこそ、

 

「やりたい事をやって生きるための行動」
を死ぬ気で起こせる側面もあると思うからですね。

 

ちなみに「習い事」については、
子供によく最終確認をした上で、

それでも「辞める」という場合は
辞めさせる事になりました(笑)

 

まだ子供なだけに、普通にその日の気分で

  • 「行きたくない」
  • 「辞めたい」

と言うものですが、
ウチの子供の場合は、

毎週、楽しみにしている習い事には
そういう事は絶対に言わないので、

 

「辞めたい」

という意思表示をしっかりと
示したものに関しては、

辞めさせるようになった
というのが私達夫婦の最終的な方針です。

 

最後は完全に個人的な
「子育て話」になってしまいましたが

父親歴は言ってもまだまだですので、
試行錯誤の毎日です(笑)

 

嫌な事を我慢したら、”その他大勢”に属してしまう

 

私も昔、子供だった頃は、
親に何度も、(親がどうこうというつもりは無いのですが)

“嫌な事からは逃げてはいけない”
と言われて育ちました。

 

その言い聞かせを
真に受けて育った結果、

“逃げる事” = ”ダメな事だし、今後の自分の為にならない非常にギルティーな行為”

だと勘違いしてしまったのです。

 

ですが、いざ大人になって、
気づいたのです。

 

総じてとは言いませんが、

 

“嫌な事”を我慢して、
一生懸命頑張っている人ほど、

雇う側に時間と労働力を搾取されている、
“便利で忠実な歯車”として、
鬱屈とした毎日を送っている人が多いな。

 

逆に、

 

今現在、自由な生活を送って
金銭的にも時間的にも余裕のある人は、

“周りに後ろ指を指されながらも、全力で嫌な事に抵抗してきた人” 

が多いな、、、と。

 

 

“逃げてはいけない。”この考え方は、
“真っ当な社会人”として生きるのであれば、
この上なく至言極まる発想ですが、

 

本当に自分の思いのままに、
我儘に行きたいと思ったのであれば、

 

“嫌な事から逃げてはいけない。”
この発想は、絶対に払拭しなければならないのです。

 

そうしなければ、

毎日をひたすら我慢して窮屈な思いをする。
“その他大勢”のような、
そんな生き方を余儀なくされてしまいます。

 

 

もちろん、
価値観は人それぞれですので、

何が良い、何が悪い
というつもりはないのですが、

 

もし、ここまでを読んでくれている、
今目の前にいる、アナタが、

 

ワガママに行きたい。
と思うのであれば、

 

嫌な事から逃げてはいけない。 

という発想を捨てる事をオススメします。

 

嫌な事から逃げてはいけない

ではなく、

 

どうすれば”嫌な事”をせずに済むのか?という”打開策”を考えて、
全力でそれを実行していかなければならない

 

という風に、考えられる、
そのような人物になって頂ければと思います。

 

以上です。

 

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