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もし、何かしら事情があって、自分の死期が近いと感じて遺書を書く場合、

このような言葉を最後の締めくくりに使おうとはしていませんか?

 

「先立つ不幸をお許しください」

↑実はこの言葉、とんでもない大きな誤解を生む可能性があることを

ご存知でしたか?

 

今回はそのことについ触れていきたいと思います。

 

「先立つ不幸をお許しください」はどこがどう間違いなの?

 

「お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください。」

遺書に登場するフレーズとしては、定番中の定番です。

 

あまりにもよく耳にしすぎてかえって実際に使う人は誰もいないのではと

思ってしまうくらいです。

 

得に今どきの若者であれば、

たとえドラマの中でもこのような言い回しには縁がなさそうです。

 

もちろん、遺書に「正解」なんてあるワケではないので、何を書こうとも本人の自由です。

ですが、誤字だけは生きている間に直したほうがベターです。

あの世にいった後で気づいてもその時はもうすでに手遅れになっていて訂正するチャンスは二度と来ません。

 

このような遺書を書かなければならない程追い詰められている場合は、

確かに「不幸」だったのかも知れません。

 

また、死因が「自殺」であれば周りの人たちも多大な迷惑を被る事になります。

しかし「幸福」か「不幸」かは、あくまで「主観的」なものです。

 

他の人の主観に対して、「不幸をお許しください」と詫びるのもヘンな話です。

もし、「親よりも早く死んで天国に逝く自分を許してほしい」という風に両親に詫びるのであれば、

 

「不」ではなく、「不」にしましょう。

 

 

「不幸」× 「不孝」〇

 

「不孝」とは、文字通り「孝行」の反対の「親不孝」であることを意味する言葉です。

親より先に死ぬことは、確かに「不孝の極み」ですから、

本来の定番フレーズは、

 

「先立つ不孝をお許しください」

 

です。

 

実際に「先立つ不孝をお許しください」という遺書を遺した人がいたとして、

どの様な思いで遺書を書き記したのかは知る由もありませんが、

「不幸」という誤字からうかがえる事が一つあります。

 

それは、

 

「本人が満足いく人生を送る事ができず、幸せだと思えないままの状態で

失意のドン底の中、死にました・・・」

 

です。

 

考えてみてください。

もし、自分が親だとして、腹を痛めて生んだ上に

一生懸命手塩にかけて育て上げた愛おしい子供が首を吊り、

悲しみにあえいでいる中、見つけた遺書にこんなフレーズがあったらどうでしょうか?

 

「・・・・」です。

 

 

最早、何も言葉にできません。

想像を絶する程、残念でやるせない気持ちにさせられます。

なんでしょうか?

 

「自分の自己満と世間体のために出来損ないの俺を生みやがって!見ろ!このザマだ!!」

 

とでも言いたいのでしょうか?

兎にも角にも、「幸福」か「不幸」かを判断するのは、

本人の「主観」です。

他の誰でもない自分自身が決める事です。

 

どんなに恵まれた生活をしていても心は空虚なままかも知れません。

どんな悲惨な状況に置かれていたのかは知りませんし、

幸福か不幸を判断するのは自分の自由ですが、

少なくとも親のせいにしてはいけません。

 

親にどんな十字架を背負わされたのかは存じませんが、

それを乗り越えて幸せに暮らしてる人は世の中にたくさんいます。

 

かくいう自分も昔はよく「自分の要領の悪さ」を「親のせい」だとして声を荒げたこともあります。

今になって考えてみればひたすら哀れで恥ずかしい「ただのワガママ」でした。

 

自らの「不孝」を他人や環境のせいにしている人は多いですが、

自分自身が「自覚」しない限り「不孝」ではありません。

 

今の状況をどう判断するかは、それはすべての人に与えられた「権利」です。

誰であろうと、その権利を阻害する事はできません。

 

もし、「先立つ不孝」と書き遺して自ら死を選んだ人が、

そのことに気づいていたとしたら、違った選択肢を見つけることもできるかもしれません。

 

 

話が大きく逸れてしまいましたが、

 

「不を詫びる健気さと、

 

「不を嘆くワガママ

 

はまったくの別物です。

 

自分が「不幸」だと感じることは自分自身に対する主観であり、

他人は「比較対照」としてしか登場しません。

それは、ひたすらに「自己中心的」な思想です。

 

 

 

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